1978年10月10日に始まった“ Le Studio des Petons ”は“あんよ達の教室”という意味です。あんよ達がいつしかポアントで立つ日を思いながらコツコツとレッスンを続けています。大宮バレエ教室という名前は当時役所側でアルファベットの屋号を受けつけなかったのです。せんせいの名前は大宮チエ子です。せんせい の先生は相島千恵子さんでした。相島先生はレッスンの時レコードを使っていました。レコードの針を的確に必要な音の始まりに落としていました。私はそのレコード盤を手に取ってみましたが特別な印はついていませんでした。週に1回はピアニストがやってきてレッスンに合わせてピアノを弾いてくれました。クラシックに限らず話題になっている曲をレッスン用にアレンジして弾いてくれるので楽しかったです。2ヶ月に1回はパ・ド・ドゥのクラスがありました。相島先生は「バレエって贅沢なものなのよ、バレエの贅沢なところを生徒に教えられなきゃ、バレエ教えたことにならないわよ」と。相島先生に私もバレエ教えたいと相談したら、とても喜んで先生になる勉強をしなさいと余芳美先生を紹介されました。余先生は当時の日本のバレエ教育の低さに驚いていた方です。余先生の教室でバレエ理論とその教授法を教わりました。
そこでお友達になった木村なつみさんは小倉教室に私を誘い、小倉重夫先生に紹介されました。小倉先生はかの有名なノヴェール著「舞踊とバレエについての手紙」を始め数々のバレエに関わる洋書を翻訳されています。小倉教室ではバレエという世界のレッスン以外の様々なことを学びました。そして私はバレエって面白いなあと思うようになりました。
2000年にフェルデンクライス・メソッドのティーチャーズ・トレーニングコースを卒業し国際フェルデンクライス連盟公認プラクティショナーになりました。フェルデンクライスを学ぶことで人間の機能を深く知るようになりバレエのレッスンを踊るための機能を引き出すレッスンと考えるようになりました。
ここはそんなせんせいのお教室です。